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仙台地方裁判所 昭和62年(ワ)294号 判決 1992年10月30日

原告

宮本産業株式会社

右代表者代表取締役

宮本光雄

右訴訟代理人弁護士

松坂英明

右訴訟復代理人弁護士

村田知彦

被告

株式会社ナカガワ総業

右代表者代表取締役

中川進英

右訴訟代理人弁護士

清藤恭雄

富澤秀行

主文

一  原告の主位的請求を棄却する。

二  被告は原告に対し、金一四〇〇万円及びこれに対する平成四年四月二二日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

三  原告のその余の予備的請求を棄却する。

四  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告の、その余を原告の負担とする。

五  この判決第二項は仮に執行することができる。

ただし、被告において金一〇〇〇万円の担保を供するときは、右仮執行を免れることができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  主位的請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金二八〇〇万円及びこれに対する昭和六一年一二月二六日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

二  予備的請求の趣旨

1  被告は原告に対し、金一四〇〇万円及びこれに対する昭和六二年四月一七日から支払済みまで年六分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

3  仮執行宣言

三  主位的請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

3  予備的に仮執行免脱宣言

四  予備的請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

(主位的請求)

一  請求原因

1 当事者

(一) 原告は、鉄鋼製品仕入、製造等を業とする株式会社である。

(二) 被告は、ホテル経営等を業とする株式会社であり、左記の土地、建物(以下「本件物件」という。)を所有し、本件物件でホテル「エンゼル」の屋号でラブホテル(風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律第二条第四項第三号の風俗関連営業に該当)を経営していた。

① 仙台市青葉区大町二丁目六番一四

宅地 120.03平方メートル

② 同所六番一五

宅地 39.90平方メートル

③ 同所六番地一四、同所六番地一五所在

家屋番号 六番一四

鉄筋コンクリート造陸屋根六階建 旅館

2 売買契約の締結

(一) 原告は被告から、昭和六一年五月一九日、本件物件を代金一億四〇〇〇万円で手付金一四〇〇万円とし、所有権移転及び残代金決済日は同年六月三〇日として買い受けた(以下「本件売買契約」という。)。

(二) 本件売買契約において、原告と被告とは、被告の債務不履行により原告が本件売買契約を解除したときは、被告は原告に対し、違約金として、すでに受け取った手付金の倍額を支払う旨合意した。

(三) また、原告と被告とは、「本件物件に関する営業権は、甲(被告)より乙(原告)に名義変更される事を甲(被告)は確約する。」との特約(以下「本件特約」という。)を合意とした。

3 本件特約の趣旨

本件特約は、被告が原告に対し、原告が本件物件でラブホテルを営業できるように手続をとること及び右手続が適法かつ有効なものであることを確約、保証する趣旨であった。

4 手付金の支払

原告は被告に対し、昭和六一年五月一九日、手付金として額面一四〇〇万円支払期日を同年八月三一日とする約束手形を振出、交付し、右手形は支払期日に決済され、手付金一四〇〇万円は現実に被告に支払われた。

5 被告の債務不履行と原告の本件売買契約の解除

本件売買契約の締結の際、被告は原告に対し、本件特約に関して昭和六一年六月三〇日までに本件特約を履行するための具体的手続・手順を選択した上、原告に明示することを約したが、同日までに右履行をしなかった。

その後、原告は被告に対し、再三にわたり、本件特約を履行するための具体的手続等を明示することを求めたが、これに応ぜず、同年一〇月初旬に至り、被告は同年一〇月一三日までに具体的手続等を明らかにする旨確約したが、同日までに右履行をしなかった。

同年一一月一七日ころ、原告は被告に対し、電話で再三右約束を履行するよう催告したが、被告はこれに応じなかった。

同年一一月一九日、原告代表者と被告代表者とが面談したが、話合いは不調に終わり、被告代表者は原告代表者に対し、「ああでもない、こうでもないと言って子供みたいだ。俺の方からこの契約は破棄する。好きな様にしてくれ。」と発言した。

原告は被告の右態度を承諾せず、同年一二月一〇日、内容証明郵便にて原告が被告に対し、同年一二月二五日までに、従前どおり営業できる法的地位の譲渡(名義変更)について、その手続の手順等及びその手続により適法にかつ有効に名義変更できることの裏付けの有無について、書面で明らかにすることとその手続に必要な書類があれば、その一件書類を交付することを催告し、被告が右期限までに右履行をしない場合は、原告は右期限の経過と同時に本件売買契約は当然に解除されるとの意思表示をしたが、被告は右期限を経過するも何らの回答もせず、右履行をしなかった。

本件売買契約は同年一二月二五日の経過とともに被告の債務不履行を原因として解除された。

6 よって、原告は被告に対し、本件売買契約の手付金の約定に基づき、前記手付金の倍額二八〇〇万円とこれに対する解除後の昭和六一年一二月二六日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1 請求原因1(当事者)の事実は認める。

2 請求原因2(売買契約の締結)の事実は認める。

3 請求原因3(本件特約の趣旨)の事実は否認する。

本件特約の趣旨は、本件物件の売却に伴い、ホテルの営業を営み、これに伴う収益を受ける地位も買い主に移転することを確認的に規定したものであり、その実現のための具体的な内容としては、原告の方で営業許可申請等をするに際し、被告の方で廃業届を出すこと及び電話やリース什器備品等を現況有姿のまま引き渡し、その名義変更等の手続に被告が協力することである。

風俗関連営業としてのいわゆるラブホテルの営業を現況のまま被告から原告へ承継させることを規定したものではなく、本件特約の実現のための行政的な手続の問題としては、被告において廃業届を出せば十分であり、原告がホテルの収益をあげるための方策として、原告において風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律(以下「風営法」という。)上の届出を行うか、あるいは、旅館業法上の営業許可申請を行うかは、原告が自主的に判断すべき事柄であり、そのことについて被告は無関係である。

4 請求原因4(手付金の支払)の事実は認める。

5 請求原因5(被告の債務不履行と原告の本件売買契約の解除)の事実のうち昭和六一年一一月一九日に被告代表者と原告代表者が面談し、話合いが不調となり、被告代表者が本件売買契約を破棄する旨の発言をしたとの事実、同年一二月一〇日、内容証明郵便にて原告が被告に対し、同年一二月二五日までに、従前どおり営業できる法的地位の譲渡(名義変更)について、その手続の手順等及びその手続により適法にかつ有効に名義変更できるとの裏付けの有無について、書面で明らかにすることとその手続に必要な書類があれば、その一件書類を交付することを催告をし、被告が右期限までに右履行をしない場合は、右期限の経過と同時に本件売買契約は当然に解除されるとの意思表示をしたが被告は右期限を経過するも何らの回答もしなかったとの事実は認め、その余の事実は否認する。

三  被告の抗弁

1 原告は本件売買契約の残代金一億二六〇〇万円を支払期限である昭和六一年六月三〇日までに支払わなかった。

2 その後、昭和六一年七月末ころ、同年八月二〇日ころ、同年九月に入ったころ、被告は原告に対し、再三にわたり、残代金の支払を催告したが、原告は残代金を支払わなかった。

3 昭和六一年一一月一九日、被告代表者と原告代表者とが面談した際、被告は原告に対し、本件売買契約を残代金支払の不履行を理由に解除する旨の意思表示をした。

4 本件売買契約において、原告と被告とは、原告の債務不履行により被告が本件売買契約を解除したときは、原告は被告に対し、すでに支払った手付金の返還を請求することができない旨合意した。

四  抗弁に対する原告の認否

1 抗弁1の事実は認める。

2 抗弁2の事実のうち、原告が本件売買契約の残代金を支払わなかったとの事実は認めるが、その余は否認する。

3 抗弁3の事実は認める。

4 抗弁4の事実は認める。

五  原告の再抗弁

1 本件特約は本件売買契約においては重要な要素であり、原告の残代金支払義務と被告の本件特約における義務履行とは同時履行の関係にある。

2 被告の本件売買契約の解除は、本件特約を履行するための具体的手続、手順を選択した上、原告に明示することをしておらず、解除の効果は発生していない。

(予備的請求)

一  請求原因

1 原告と被告とは、昭和六一年五月一九日、本件売買契約を締結した。

2 原告は被告に対し、右同日、手付金として額面一四〇〇万円の原告振出にかかる約束手形を交付し、右手形は同年八月三〇日に決済された。

3 原告と被告とは本件売買契約の締結に際し、本件特約を合意した。

本件特約の趣旨は、「要するに被告が原告に対し、あとあと問題のないように、原告がきちんと営業できるようにしてやる。」ことを確約するというものであった。

4 本件売買契約の締結時において、本件物件を取得する目的は、原告が自らラブホテルの営業を承継することにあったものであり、原告が現況のままで金をかけずに営業を承継することが条件となっていた。

5 本件売買契約締結当時、本件物件は風営法第二条第四項第三号に定める「風俗関連営業」に該当するいわゆるラブホテルであった。

6 本件売買契約の締結にあたって、本件特約の挿入を希望するなどして、現況のままでの営業承継の可否に最大の関心を寄せていた原告に対し、被告は、「被告が廃業届を出し、原告が新規に風営法上の届出を出せばよい。」と話し、その結果、原告は右の方法で営業の承継が可能であると信じ、本件売買契約を締結した。

7 ところが、結果として、仮に原告が被告の説明に従って本件物件を取得し、宮城県公安委員会に対して風営法第二七条に基づく営業届を提出したとしても次の理由により、受理されないことが判明した。

(一) 風営法及び宮城県条例によれば、学校、図書館、病院等の周囲二〇〇メートル以内は風俗関連営業は営むことができないところ、本件物件の北約175.5メートルの地点に医療法上の病院である東北公済病院が存在する。

(二) 本件物件を買い受けた者が風営法第二七条の新規の営業届を提出しても、前記の法律上の規制があるために営業届は受理されない。

8 原告は、風営法上の廃業届と営業届をそれぞれ売り主と買い主が提出することにより、本件物件において現況のままで風俗関連営業であるラブホテル営業を被告からそのまま承継できるものと考え、本件物件を被告から買い受ける意思表示をし、被告においても、右動機は当然のことながら了解していたものであるから、原告には本件売買契約において要素の錯誤があり、本件売買契約は無効である。

9 よって、原告は被告に対し、本件売買契約の錯誤無効による不当利得返還請求権に基づいて、手付金一四〇〇万円とこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和六二年四月一七日から支払済みまで商事法定利率年六分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二  請求原因に対する被告の認否

1 請求原因1の事実は認める。

2 請求原因2の事実は認める。

3 請求原因3の事実のうち、本件特約の合意は認めるが、その余の事実は否認する。

本件特約の趣旨は、本件物件の売却に伴い、ホテルの営業を営み、これに伴う収益を受ける地位も買い主に移転することを確認的に規定したものであり、その実現のための具体的な内容としては、原告の方で営業許可申請等をするに際し、被告の方で廃業届を出すこと及び電話やリース什器備品等を現況有姿のまま引き渡し、その名義変更等の手続に被告が協力することである。

4 請求原因4の事実は否認する。

当初、原告代表者が被告代表者に対し、原告においてホテルを営業して日銭を得たい旨述べていたことは認めるが、真実、自ら営業を営もうと考えていたかどうかは知らない。本件売買契約後の経過を見ると、当初から、原告は転売を目的として本件契約を締結し、その後の転売交渉がうまくいかなくなったため、代金の不払いを正当化するため風営法等の問題を持ち出してクレームをつけているとしか思われないのである。

原告において、できるだけ金をかけない形で営業をしたいとの希望を持っていたことは認めるが、現況のままで金をかけずに営業を承継することが本件売買契約の条件になっていたことは否認する。

5 請求原因5の事実は認める。

6 請求原因6の事実は否認する。

7 請求原因7の事実は不知ないし争う。

8 請求原因8の事実は否認する。

本件売買契約において、原告が重視したことは、ホテルで営業を営み、日銭を稼ぐということであり、この点については、被告側で廃業届を出しさえすれば、あとは原告側の判断により、営業を行い収益を得ることは可能なのであり原告にはこの点についての錯誤は一切ないものである。

仮に、原告において、被告が現実に行っていた風俗関連営業としてのラブホテル営業を何らの手を加えず同様の形式で営みたいと考えていたとするならば、そのことは本件売買契約の内容とはなっておらず、また、本件契約時に被告に対して表示もされていなかったものであり、これは表示されない単なる動機の錯誤であり、本件売買契約の効力には何らの影響も及ぼさない。

三  被告の抗弁

原告主張の動機の錯誤は、容易にその内容が判明するものであり、原告には重大な過失があり、本件売買契約の錯誤無効を主張することはできない。

四  抗弁に対する原告の認否

抗弁事実は否認する。

原告代表者は風営法の正確な知識及び実務経験を有していなかったこと、一方被告は正に風俗営業の現役経営者であったからその説明には説得力があったこと、更には、原告の求めに応じて本件特約条項を本件売買契約の契約書の末尾に追加記載してくれたことなどの事情に鑑みれば、原告が被告の説明から、風営法上の廃業届と営業届をそれぞれ売り主と買い主が提出することにより、本件物件において現況のままで風俗関連営業であるラブホテル営業を被告からそのまま承継できるものと信じたことは無理もなく、原告には重大な過失はない。

第三  証拠<省略>

理由

(主位的請求についての判断)

一請求原因1(当事者)の事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2(売買契約の締結)の事実は当事者間に争いがない。

三請求原因3(本件特約の趣旨)の事実について検討する。

まず、本件売買契約締結の目的を買い主である原告についてみると、前記争いのない請求原因1の事実に、原告代表者本人尋問の結果及び被告代表者本人尋問の結果(被告代表者においても、本件売買契約の締結における原告の態度について、「当初は、自分がやっている古物商が最近あまり良くないので日銭の商売ではラブホテルの経営が良いようだから自分で経営するという話がありましたので私は自分で経営すると思っていました。」との供述をしている。)を総合すると原告は被告と同様に本件物件で風俗関連営業としてのラブホテルを自ら経営する目的で本件売買契約を締結したものであり、被告においてもこのことを了解していたものと認められる。

そして、右認定事実に加えて、前記争いのない請求原因1、2の事実、ことに本件特約の文言である「本件物件に関する営業権は甲より乙に名義変更される事を甲は確約する。」との字義を総合すると、すくなくとも、本件特約の趣旨として、本件物件の売却に伴い、本件物件においてラブホテルを営業し、かつ、その営業から収益を受ける権利、すなわち、被告が従前有していたラブホテルの営業権を売り主の被告から買い主の原告に移転することを合意したものであると認められる。

更に、以上の認定事実に加えて、証人今野俊治の証言(原告へ融資を実行する銀行の従業員である同証人は、原告のラブホテルの営業に関して、「当時、風営法の改正があり、本当に営業できるのか宮本に確かめました。宮本は『売る方でちゃんとしてくれるので大丈夫だ。』といいましたが、宮本はこういう仕事は今回初めてだったので、私は、『十分注意するように。』と言いました。」などと証言している。)、原告代表者本人尋問の結果、被告代表者本人尋問の結果(被告代表者は「私は一貫して営業はできるはずだという話をしてきました。」「私は営業できると確信していました。それでなければ一億何千万円もするような物件を売るはずがありません。」などと供述し、また、契約締結前に原告代表者から営業できるか否かの話は出なかったかとの質問に対し、「出ました。それで私はできると答えました。」と供述し、更には「原告代表者の方から書いてくれと言われて私の方で整理して特約条項を入れました。」「リース物件から什器備品、廃業届を出すに至るまで、原告会社が営業できるよう一切のものを原告会社に名義変更するということです。」と供述している。)及び弁論の全趣旨(本件特約の趣旨に関して、被告は、ホテル「エンゼル」の営業者の名義を被告から原告に変更することについては、双方とも異存なく、名義変更の形式、方法、たとえば、原告、被告がいずれか別会社を設立して、ホテルの新しい営業者となる方法などに関し、双方で今後更に協議をして決定することを約したものであると当初主張し、また、ホテルの営業権を原告に移転することを実現するための具体的内容としては、原告の方で営業許可申請等をするに際し、被告の方で廃業届を出すこと及び電話やリース什器備品等を現況有姿のまま引き渡し、その名義変更等の手続に被告が協力することであると主張している。)を総合すれば、本件特約の趣旨は、単に被告や第三者との関係において、原告が本件物件におけるラブホテルの営業権を取得できることを確約したものであるのみならず、原告が本件物件においてラブホテルの営業を適法に継続できることをも保証した趣旨であり、その実現の具体的な協力方法として、被告において、電話やリース什器備品等を現況有姿のまま引き渡し、当面、原告が営業許可申請等(旅館業法上の許可、風営法上の開業届)をするに際して、被告が廃業届を出すことで、名義変更等の手続に協力することを確約した趣旨であると認められる。

したがって、原告の主張する請求原因3の事実は、右の事実の限度において認められる。

なお、被告は本件特約は風俗関連営業としてのラブホテルの営業を現況のまま被告から原告へ承継させることを規定したものではないと主張しているが、原告が本件売買契約を締結した目的は前記認定のとおり、被告と同様に本件物件においてラブホテルを営業することにあったのであるから、被告の右主張は採用できない。ただ、被告においては、廃業届を出すことにより原告が被告と同様に本件物件においてラブホテルを営業できると確信していたことから、具体的な協力義務としては前記認定の限度で合意したものである。

四請求原因4(手付金)の事実は当事者間に争いがない。

五請求原因5(被告の債務不履行と原告の本件売買契約の解除)の事実について検討する。

1  まず、被告が昭和六一年六月三〇日までに本件特約を履行するための具体的手続、手順を選択した上、原告に明示することを約したとの原告の主張について検討するに、原告代表者本人尋問の結果では、原告代表者は、本件売買契約の締結にあたって、被告代表者が本件物件でラブホテルを営業できる方法について被告の子会社を設立して子会社ごと売却するとか、既存の被告の株式を売買するなどの方法があるとか説明し、口頭で同年六月三〇日までに営業権についての名義変更手続の方法を報告すると約束した旨供述している。

しかしながら、本件売買契約の締結の段階で子会社設立等手続が必要なことを被告代表者から説明されているとしたら、子会社設立等の手続は手間ひまのかかる困難な手続であるから、本件売買契約書(<書証番号略>)に残代金一億二六〇〇万円の支払期限を同年六月三〇日と規定しながら、本件特約に関しての何らの期限を規定しなかったことは危険が大きく、取引上の対応としては理解に苦しむところであり、むしろ、本件特約に関して期限が規定されなかったことは、被告が廃業届を出し、原告が営業届を出すことにより、当然に原告が本件物件においてラブホテルを営業できるものとの理解で本件売買契約を締結したものであるとの被告代表者の供述内容により合致する様相といえること、<書証番号略>(手紙)、<書証番号略>(封筒)及び原告代表者本人尋問の結果によれば、原告は同年六月ころに本件物件を転売することを考え、買い手の訴外原田能也と交渉していたが、同年八月二八日ころ、右訴外人は原告代表者宛に本件物件の売買に関して手紙を出し、右手紙の中で、「風営法においては営業権の譲渡はできません。したがって、営業権を有する会社そのものを引き継ぐしか方法はないと考えます。したがって、会社の株式を一〇〇パーセント買収すること。」などとの問題点を指摘していることが認められるが、右事実は、同年六月ころの原告代表者は、本件物件におけるラブホテルの営業には子会社設立等の手間ひまのかかる困難な手続が必要であるとの認識は持っておらず、右訴外人に対して子会社設立等の手続が必要であるとの説明をしていないとの事実を強く推測させること、原告代表者本人尋問の結果では、原告代表者は同年六月三〇日までに本件売買契約の残代金を支払わなかった理由は被告が本件特約を履行するための具体的手続を明示するなどしなかったためであると供述するが、原告代表者及び被告代表者各本人尋問の結果によれば、同年六月三〇日前後ころに原告代表者が被告代表者に対し、原告に融資してくれる銀行を紹介してもらえないかと依頼し、被告代表者の紹介で仙台信用金庫塩釜支店との間で融資について話合いを行っていることが認められるが、右の原告代表者の態度は原告代表者の残代金不払いの理由についての供述内容とはそぐわない面があること、以上の諸点と被告代表者本人尋問の結果に照らすと、被告代表者が口頭で同年六月三〇日までに営業権についての名義変更手続の方法を報告すると約束したとの原告代表者の前記供述は、すぐには採用することができず、他に原告の前記主張を認めるに足りる証拠はない。

2  次に、昭和六一年六月三〇日以後、原告は被告に対し、再三にわたり、本件特約を履行するための具体的手続等を明示することを求めたが、被告はこれに応ぜず、同年一〇月初旬に至り、同年一〇月一三日までに具体的手続等を明らかにする旨確約したが、同日までに右履行をしなかったとの原告の主張並びに同年一一月一七日ころ、原告は被告に対し、電話で再三右約束を履行するよう催告したが被告はこれに応じなかったとの原告の主張について検討するに、<書証番号略>(合意解約書)、<書証番号略>(準消費貸借契約書)、<書証番号略>(確約書)、<書証番号略>、原告代表者及び被告代表者各本人尋問の結果、弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実の限度で原告の右主張は認められる。

原告代表者は、当初は被告代表者の説明(風営法上、被告が廃業届を提出し、原告が営業届を出せば営業できるとの説明)に納得して本件売買契約を締結したものの、同年六月ころから訴外原田能也と本件物件の転売交渉を行ったり、融資の遅れを理由に同年六月三〇日の残代金の支払を延期してもらったりして、より金利の安い融資の獲得や、より経済的な営業の承継の方法を模索するうちに、被告代表者の説明のとおりに本件特約を実現できるものなのかどうか不安を覚えるようになり、同年八月中旬ころ、被告代表者に対し、手付金として振出した約束手形の決済の延期を求め、同年八月下旬ころ、右不安を解消するため、原告がラブホテルの営業を承継する方法に関して、被告の顧問弁護士の意見を聞きたいと考え、このことを被告代表者に要請し、その結果、被告代表者同席の上、被告の顧問弁護士と面談して話を聞いたところ、同弁護士から被告株式の譲渡など本件特約を履行するための二、三の方法が示唆されたが、被告代表者は間違いなく営業できると言うのみで具体的な手続を選択、実行する明確な意思表示はしなかった。その後、原告代表者は、被告代表者から既に手付の約束手形を割り引いているから決済してくれと迫られたりしたことから、約束手形金一四〇〇万円を同年八月三一日に支払ったが、決済後も前記不安は払拭できなったことから松坂弁護士に相談をもちかけ、同弁護士に本件売買契約を解除して手付金を貸金扱いにするとの合意契約書(<書証番号略>)及び準消費貸借契約書(<書証番号略>)の各書式と、本件売買契約を続行し、合法的に本件特約を実行してもらうことを確約してもらう内容の確約書(<書証番号略>)の書式をそれぞれ作成してもらい、これらを被告代表者のもとに持参した。これに対し、被告代表者は顧問弁護士に相談すると言って態度を保留し、その後、同年一〇月一三日までに本件特約に関する手続、手順を書面で明らかにする旨約したが、同日を経過するも右手続等を原告に示さなかった。同年一〇月ころ、被告代表者から原告代表者に対し、本件売買契約の残代金の支払催告があったが、原告代表者は被告が本件特約を実行していないとして支払を拒否した。同年一〇月一三日以後も、原告代表者は被告代表者に対し、右手続等を明らかにするように再三催告したが、被告はこれに応じなかった。

3  昭和六一年一一月一九日、原告代表者と被告代表者とが面談したものの、話合いは不調に終わったとの事実は、当事者間に争いがなく、原告代表者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、右面談の際、被告代表者は原告代表者に対し、「ああでもない、こうでもないと言って子供みたいだ。勝手にしてくれ。俺の方からこの契約は破棄する。」との発言をしたが、原告代表者はこれを了承しなかったことが認められる。

4  昭和六一年一二月一〇日、内容証明郵便にて、原告は被告に対し、同年一二月二五日までに、従前どおり営業できる法的地位の譲渡(名義変更)について、その手続の手順等及びその手続により適法にかつ有効に名義変更できることの裏付けの有無について、書面で明らかにすることとその手続に必要な書類があればその一件書類を交付することを催告し、被告が右期限までに右履行をしない場合は、右期限の経過と同時に当然に本件売買契約は解除されるとの意思表示をしたが、被告は右期限を経過するも何らの回答もしなかったことの事実は、当事者間に争いがない。

5  争いのない事実及び認定事実をもとに、原告の本件売買契約の解除の効力について検討する。

本件特約の趣旨は、被告において、原告が本件物件でラブホテルの営業を適法に継続できることをも保証した趣旨であるが、当面、被告の具体的な協力義務としては、原告が営業許可申請等をするに際して、被告が廃業届を出すなどして、名義変更等の手続に協力することにとどまるものであり、また、本件売買契約においては、本件物件自体の価値そのものが大きな比重を占めることは明らかであり、残代金の金額は一億二六〇〇万円と多額であるから、このような場合、特別の事情(営業届などの右手続では原告が営業できないことが当事者間において明らかとなったような場合)がない限り、営業届などの右手続で原告が適法にラブホテルを営業できるものと信じ、かつ、現に本件物件でラブホテルの営業を継続している被告としては、原告が本件物件の所有権とラブホテルの営業権を取得し、本件物件においてラブホテルの営業を開始できる状況が現実化して初めて、被告の右義務の履行が問題とされることになるものと解すべきところ、<書証番号略>によれば、本件物件の所有権移転は残代金の支払と同時に行うものであるとされているから、結局、被告の右義務の履行は残代金の支払があって初めて問題とされる関係にあり、原告の残代金の支払は被告の右義務の履行との関係では、先履行の関係にあるというべきである。

右の関係を考慮すると、営業届などの右手続では原告が営業できないことが当事者間において明らかになっていない状況下において、仮に、信義則上、売り主の被告において、前記認定の経緯からラブホテルの営業についての前記不安を覚えた買い主の原告に対し、本件特約を実現するための具体的な手続、手順等を書面で明らかにする積極的な義務が発生するものだとしても、その義務の履行が遅滞と評価されるには、すくなくとも、原告において残代金の支払を留保せずにその支払の提供をして、被告との関係においてラブホテルの営業を開始できる状況が現実化していることを明らかにする必要があると解するのが相当である。

そこで原告の本件売買契約の解除の態様をみると、営業届などの右手続では原告が営業できないことが当事者間において明らかになっていない状況下において原告は残代金の支払を期待していた被告に対し、残代金の支払期限である昭和六一年六月三〇日から一度も残代金の支払の提供をしていないのであるから、具体的な手続、手順等を書面で明らかにする義務の履行を被告が遅滞していたものと評価することはできず、したがって、被告の右義務の不履行を理由とする原告の本件売買契約の解除はその要件を充足せず、その効力は発生しないものと言わなければならない。

六結論

以上の次第で、被告の債務不履行に基づく本件売買契約の解除を理由として手付金の倍額を請求する主位的請求は、抗弁について判断するまでもなく、失当であるからこれを棄却することとする。

(予備的請求についての判断)

一請求原因1の本件売買契約の締結に関する事実は当事者間に争いがない。

二請求原因2の手付金に関する事実は当事者間に争いがない。

三請求原因3の事実のうち、原告と被告とが本件売買契約の締結に際し、本件特約を合意したとの事実は当事者間に争いがなく、本件特約の趣旨については、前記認定(主位的請求についての判断三)のとおりであり、要するに、被告が原告に対し、あとあと問題のないように原告がきちんと営業できるようにすることを確約したものであると認められる。

四請求原因4の事実のうち、本件売買契約の締結時において、原告が本件物件を取得する目的は被告のラブホテルの営業を承継して自らがラブホテルを営業することにあったものであるとの事実は、前記認定(主位的請求についての判断三)のとおり認められ、原告が現況のままで金をかけないで被告の営業を承継することが条件となっていたとの事実に関しては、右条件の存在を認めるに足りる証拠はないが、被告代表者本人尋問の結果及び弁論の全趣旨によれば、被告代表者は原告代表者がそのような意思を有することを知っていたものと認められる。

五請求原因5の、本件売買契約締結当時、本件物件は風営法第二条第四項第三号に定める「風俗関連営業」に該当するいわゆるラブホテルであったとの事実は、当事者間に争いがない。

六請求原因6の、本件売買契約の締結にあたって、本件特約の挿入を希望するなどして、現況のままでの営業承継の可否に最大の関心を寄せていた原告に対し、被告は、「被告が廃業届を出し、原告が新規に風営法上の届出を出せばよい。」と話し、その結果、原告は右の方法で営業の承継が可能であると信じ、本件売買契約を締結したとの事実は、前記認定(主位的請求についての判断三)の事実、原告代表者及び被告代表者各本人尋問の結果、弁論の全趣旨により認められる。

七請求原因7の事実について

本件売買契約が締結された昭和六一年当時においても、風営法及び宮城県条例によれば、学校、図書館、病院等の周囲二〇〇メートル以内は風俗関連営業を営むことができないところ、<書証番号略>(本件物件付近の地図)及び弁論の全趣旨によれば、本件物件の北約175.5メートルの地点に医療法上の病院である東北公済病院が存在することが認められる。

右事実及び<書証番号略>(照会申出書控え)、<書証番号略>(弁護士法第二三条の二に基づく照会の件についての回答)によれば、本件物件を買い受けた者が風営法第二七条の新規の営業届を公安委員会に提出しても、前記の法律上の規制があるために営業届は受理されないことが認められる。

したがって、仮に、原告が本件売買契約により本件物件を取得し、被告の説明のとおり、宮城県公安委員会に対し風営法第二七条の新規の営業届を提出しても、その営業届は受理されないことが明らかであり、原告は適法に本件物件においてラブホテルを営業することができない。

八請求原因8の事実について

以上の事実に被告代表者本人尋問の結果によれば、原告は、風営法上の廃業届と営業届をそれぞれ売り主と買い主が提出することにより、本件物件において現況のままで風俗関連営業であるラブホテルの営業を被告からそのまま承継できるものと考えて、本件物件を被告から買い受ける意思表示をし、被告においても、原告の右動機は了解していたことが認められ、これに前記四及び七の事実を総合すれば、本件売買契約において原告には動機の錯誤があり、原告において、本件売買契約締結時に前記七の事実が判明していれば、本件売買契約を締結することはなかったと認められるから、右錯誤は本件売買契約の要素の錯誤に該当し、本件売買契約は無効である。

九被告の抗弁について

被告は、原告主張の動機の錯誤は容易にその内容が判明するものであるから、原告には重大な過失があり、本件売買契約の錯誤無効を主張することはできないと主張しているが、原告は鉄鋼製品仕入、製造等を業とする株式会社であり、原告代表者本人尋問の結果によれば、原告代表者はラブホテルの経営の経験はまったくなく、その経営に関する知識もないことが認められるところ、前記七の事実は特殊な法律の解釈適用の問題であり、一般通常人にとってまったく馴染みのない問題であることに照らせば、その内容が容易に判明するものとはとうてい言えない性質のものであり、原告代表者が現にラブホテルを経営する被告代表者の説明から本件物件においてラブホテルを営業できるものと信じて本件売買契約を締結したことは無理からぬ面があり、原告の右錯誤に重大な過失があるものとは認められない。

なお、原告代表者本人尋問の結果中には、原告代理人の「要するにあなたが土地建物を購入して新規に風俗営業許可申請を出したところで、許可は下りないということはわかっていたと。」との質問に対し、原告代表者は「はい。」と供述してラブホテルの営業に関する風営法上の法律問題を理解していたがごとき部分があるが、前記のようにラブホテル営業の適法性は特殊な法律の解釈適用の問題などであること、前記認定(主位的請求についての判断五の1)のとおり、本件物件の転売交渉の相手である訴外原田能也から原告代表者宛の昭和六一年八月二八日ころの手紙で「風営法においては営業権の譲渡はできません。」との記載があり、これに照らせば、転売交渉当時、原告代表者において、風営法上の法律問題は正確に理解していなかったのではないかと強く推測できること、これらのことと被告代表者本人尋問の結果に照らしてみると、原告代表者の前記供述部分はたやすく信用することができない。

したがって、被告主張の抗弁は理由がない。

十以上の事実によれば、本件売買契約は錯誤により無効であり、被告が原告から受領した手付金一四〇〇万円の利得は法律上の原因がないことになるから、原告は被告に対し、右金員について不当利得返還請求権を有し、被告は予備的請求がなされた第二九回口頭弁論期日平成四年四月二一日の翌日から右返還義務の履行遅滞となり、本件売買契約の商行為性から右の遅延損害金は商事法定利率年六分の割合となる。

よって、原告の予備的請求は、金一四〇〇万円及びこれに対する平成四年四月二二日から支払済みまで年六分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余の請求は失当であるからこれを棄却することとする。

(裁判官片瀬敏寿)

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